オリンピック開催直前です。今年は課題が満載、問題山積ですがここではコロナ禍に触れません。スポーツはネガティブな日本人がポジティブになれる美談にあふれていると信じられています。他人が頑張る(笑)、努力をして結果を出すストーリーは私も嫌いではありません。でも「結果が出なかった努力は努力と呼ばない」なんて本気で信じていますか?
運動は負荷が高い方ほど健康的じゃないの?
こんにちは
先日講演で聞いた話です。
それも本題とは若干それた部分の「運動はしなくてもいい」に驚いたのです。
お話しされたのはスポーツの専門家で幼児からオリンピックの裏事情まで精通されている方。
どのように私が管理教育の中で「運動はした方が良いに決まってる」と思い込んだかがわかりました。
たまたま私は運動が得意な方だったのでスポーツイベントは苦ではありませんでした。
苦手意識のある友人もいましたが別に妙な優越感や蔑視などありませんでした。
知らないところで、ワコちゃんはいいよ得意だから、という勝手な劣等感を抱かれていたかは知りません。
私は日頃、得意不得意に善悪はない、苦手は克服しなくていいと言いふらして(笑)いるのですが。
もちろん適度な運動が健康に良い事は間違いありませんが、適度の基準が高いところにあって勝手に自分へのダメ出しが強かったのです。
私は何も知らなかった
正に、スポーツ倫理の弊害は想像以上に根深く浸透しています。
勝つこと、結果を出すこと、努力することがスポーツ教育を通して過剰に美化され思考停止になっていることに気づくお話しでした。
近年トップアスリート界のパワハラやメンタルについて情報が明らかになっても来ていますね。
ここでは文字化できないヤバいエピソードてんこ盛りで驚き続きでした。
いえ、知れば考えればごもっとも。
すべての人が見ざるi言わざるを演じていたのではないと知って楽しかったです。
スポーツを通して自発的に服従し、産業社会が出来上がっている構造を具体的に知る事が出来ました。
ここでその具体をご自身にあてはめてよくよく考えて欲しいのです。
過剰に美化・盲目的に服従。
たくさん思い当たるはずです。
テレビで、学校教育の場で伝えている人がそれに気づかず強い思い込みで発言している事が多いのですから。
私たちは世界のホンの一部しか知らないのに作られた価値観に左右されているのだなぁと実感します。