一生付き物の「悩み」はどこからどこへ?
検索、記事探し、読書に頼って人生が変わるでしょうか。どれだけ読んでも問題解決しない。いつまで同じ悩みに苛まされるのか、ストレスを抱えっぱなしでいつまでも解決しないのはなぜ?
これらは特別な悩みではありません。私たちの日頃の向き合い方を一緒に考えてみましょう。
悩みはどこから
こんにちは。
ブログでは 様々な考える材料をお話ししていきたいと思います。
私たちの悩みは人間関係、お金、健康、将来にあるそうです。こちらでお話しするのは主に人間関係ですが、それぞれお話を聴いていれば、将来、健康、お金にまつわる内容につながることも普通です。
人間関係は対人関係、コミュニケーションといっても同じですね。お悩みは現在や将来に抱くものですが、誰しも「過去」と切り離すわけにはいきません。原因とか言い訳がたくさん詰まっているのですから。
これもお悩み?
中には「幸せ過ぎて将来が怖い」という人もいます。縁がなくても聞いたことのあるセリフでしょう。これも現在や過去の幸運を自覚しているために将来の落差が不安ということになります。
「過去=悪」という思い込みが強いと理解しにくいことですね。
私をつくっているもの
私たちの過去は引き継いだ遺伝情報と生まれ育った環境とでできています。
成育歴と一口に言っても親子関係を含めた生活環境、ご本人の資質と併せて同じ人は一人もいません。お悩みの歴史は浅い人もいれば、半世紀以上変わらぬ温度で持ち続けている人もいます。
後者の場合は執念となり、むしろ生きるモチベーションと感じることもあります。
人はそれぞれと言いたいところですが、似たような年回りや環境の下では他人と比較しがちです。
見た目、学歴、財産、職業やポジション、家族、過去の自分‥
アノ人は結果を出した、成功してる。
本当の私はもっと素晴らしい。
それに引き換え今の私は、どうして私は、どうせ私は、なぜ私は、と悩み放題です。
ちなみに比べることは悪ではありません。むしろ比べるのは大事な視点です。
問題が解決しないのは○○が欠けているから
アノ人との差って何でしょう。
生まれ落ちた環境の差、メンタル、才能?
諦めたり、希望をもって情報を求めたり、行きつ戻りつしている人が殆どです。せっかくの情報の中に自分に合わない部分があれば、そこに執着して改善できなかった言い訳にするのも普通に見られることです。
書いてあることばを臨場感を持って読み取ることができて、自分にすぐに応用できれば情報(読書)=問題解決となって本望ですね。
ええ理想ですね。
理想が遠く、難しいと感じるのは何が欠けているからでしょうか?
そこに欠かせないのは思考と行動です。(私は回答を焦らしません)
思考力、行動力、と言い表せるくらい、力・労力のいることなんです。
難しい、と考えられるのは当然です。
チョロいと考えられては何も変わらないか問題意識が間違っているかです。
「やればいいだろうけどできなかった、要は本人次第ってことだもんね、ダメだった、私」
と自嘲して終わる事を繰り返す人がなんと多い事でしょう。
繰り返すので目新しいとか楽チンそうな表題の本が売れ続けるメリットはあります。問題解決のために、お金もかからず、努力もいらず、効果が出たり結果を得られたらどんなに良いでしょう。
楽をして良い結果が勝手に沸いて出てくることはないと、うすうすわかっていますか。(笑)
問題解決をする、結果を出すためには行動を変えることや努力をすることが絶対必要です。
行動より先立つもの
そして行動とは思考が変わることも含まれます。
日頃街で自分とすれ違う数えきれない見知らぬ人それぞれが、幸か不幸かなどわかりっこありません。他人の頭の中の事などどうでもよい事です。
(同時に他人にどうみられるかもどうでもよい事です)
それでも、皆さんには自分で決めつけた人生をこのまま過ごすより、さらにもっと幸せであってほしいのです。
私のエゴですが。
雑踏の中で危険があった時、自分視点しかない自称不幸さんは他人に手を差し伸べることができるでしょうか?
誰かに喜びがあった時、一緒に喜ぶ事ができずにひがむのは仕方のない事でしょうか?
私たちの心持ちとか頭の中の状態で行動が変わりますね。
思考力があるとか、思考がより良く変わる事は、他人にも影響のあることです。
まして大切な人、身近な人への影響はもっと大きく重要なことです。
私たちにはもう残りの人生しかないのですから、悩みやストレスは少しでも軽減した方が良い!
さあ努力努力、集中して頑張れる人だけが偉い、と言っているわけではありません。方法やペースは人それぞれですし、どんな努力・投資が有効か/無効か、も大きなテーマです。
わこのブログは役に立つ?
さて、私のブログの性格をお伝えしましょう。
お悩みも含めて日常のあるあるを紹介します。皆さんの知りたい課題の解決法がズバッと載っているわけではありません。
ひとつのブログで人生の問題が解決できるほどのものを書く能力はないです。
なんと人気のブログの定義は知りたいことの答えがある事と言われます。
知る!解決!で済む内容でしたらどうかそれはご自身で探しててくださいね。
「○○とは」という解説に辞書的に終始したものを書くのも苦手です。
知識欲は他で満たしていただきたい。(笑)
そこで探す、調べるといった時に「ググる」ことが手っ取り早いので私も利用していますが、内容が浅かったり個人の知見に偏ったりしているものも大変多いです。
単純な「それ、違うよね」は大事な視点ですが、ものの善悪、正誤にこだわり過ぎることは不寛容につながる事もご承知でしょう。
因みにメディアの受け手としての私に不寛容な部分はたくさんあります。ただ、過激なクレーマーとか異常者と通報されるようなレベルではないだけです。
さらに自分が発信者となったからには違和感や反論をぶつけられるでしょう。
本ブログのあるあるネタの中には心理学、哲学的な視点がたくさんちりばめられています。
読まれた方の中には「この人は専門用語を知らないんだな」「覚えることがなくて楽に読めるな」「解説をしながら綴れば親切なのに」、と様々な感想があることも想像しています。
ブログですから個人の日記(覚書き・所感)でありながら読まれるのが前提という微妙なものです。
テーマは「考える材料に!」ですから内容に興味を持っていただけたらいいなぁという希望はあります。異論もアリです。
人の本質を知る事と、考える力をつける必要性を感じていただきたいために発信しているつもりですが、きちんと向き合ってお話ししないと殆どつたわらないんじゃないかしら、が本音です。
だからそれほどお役には立たないんじゃないかな。